バンドをやる敷居の高さについて

バンドというのはとても難しい。何故なら、それは人間関係を中心に発展される共同体であるからだ。趣味や性格が近い人間が枠に嵌るように集まりなんてことは、まずなくて、多くの場合は妥協やそこにいたるまでの環境で決まってしまう。

有名どころのバンド等を見ても、幼馴染みだとか、高校の部活で知り合っただとか、大学のサークルで……なんて話がほとんどだ。多くの要因は運命で決まる。才能のある人間と偶然バンドが出来ちゃった人はその才能にオンブに抱っこで、スター街道を伸し上がるということも十分にありえるのだ。

さて、僕のバンド人生はというと、満足なものが出来たことは少しもない。

例に漏れず僕も小学校からの友人とバンドを組んだり、高校の軽音楽部で活動したりと、そこそこコミットしようとしたものの何故だかどれも上手くいかなった。モチベーションの差だったり、ちょっとした違和だったり、各々の生活情勢だったりで、スケジュールを調整するのも、音楽に対する熱意を合わせるのも、どれもがとても難しくなる。そうなると綻ぶのは簡単で、何もしないで聴いてるだけで楽しいや、自分がプレイヤー側になると音楽やるのが嫌いになりそうだ。と僕は少し引っ込んでしまう。

僕は僕自身が音楽を嫌いになる事を極端に恐れている。そうであるから、音楽自体から娯楽性が失われて厳しく苦しい物になるのが耐えられないのだ。

そんな人間が本気でその道で成功できるなんて有り得ない。だから、僕は趣味として音楽を愛し続けられる程度の距離感でいいや、と割り切ることができた。

しかし、それでも小さな頃からの夢というのは恐ろしい。やはり未だにミュージシャンになれるなら、スターになれるなら、なってみたいなぁという願望は幾分か残っている。10代の頃に大好きだった洋楽ロックからの影響というのは自分の中で希望の方向性を明確に位置づけた物であり、生きる意味の原点なのだ。

だから、同い年くらいでバンド活動に本気で打ち込める人間が羨ましく思える。売れるか売れないか、分からない博打の世界で共に戦って行ける仲間を見つけて、一緒にその目的に向かって、歩き続ける同士がいるという一体感を一度味わってみたい。例えそれで芽が出なくても、何か心に残るものがあるのだろう。

有名どころのバンドなんかを見てても、運命のようにメンバーと出会えていて、自分にはその縁がないのかなぁ、と少し落ち込む。

さて話は変わるが、それでもまだ僕はバンドを始めそうだ。ここまで暗い話を書いておいてなんだと言われるかもしれないが。

小・中の同級生と再びやることになる。最後にこのメンツで音を鳴らしたのが六年前くらいだろうか。そのときはデモを作って応募なんかをしたが、網にも引っかからなかった。各自の事情で段々とバンドで集まることは減り(もちろん遊び等の交友関係は相も変わらず続いていたが)そのメンバーで音楽をやることはあまりなくなった。

何故、今回もう一度やるのか。僕が山梨から地元に帰って来て、友人のひとりH君にまた音楽やってみたいなぁと言ったところ「ちょっとずつやってこうか」という話になった。そのタイミングで、ドラム担当だったG君が東京から地元に帰って来ることが決定し、また出来そうな雰囲気が漂っているのだ。G君もそこそこノリ気なようで、ある程度大人になった今だからこそ、ちょっと違った感覚でバンドを楽しめるかもしれないという希望的観測が自分の中に芽生えつつある。

次また音楽活動をするなら第一に「楽しく」がもう絶対条件だ。今更ながら売れようとかは、思うことはできないが、ちょっとしたスポットライトに立てるくらいは出来たらいいなと考えている。活動方法には若干の構想があるので、それも交えつつ気楽にやっていこうと思う。まずは適当に好きなバンドのコピーをして、余裕があるならオリジナルを作って遊んだりしたいな。ライブもやりたい。

今日はここまで。