「見て覚えろ」その弊害

「職人の世界と同じだよ、ああいうのは見て覚えるんだ」

先日ふとした時、こんな話がバイト先で出てきた。今日はそこで僕が今思っていることを書く。

最近だとマニュアル化がなされてる職場も増えて来ているとは思うが、やはり多くの日本人は「見て覚えろ・感覚を掴め」を非常に信奉しているのだと感じざるを得なかった。彼らの多くは物事を非常に曖昧に捉えて感覚に落としている。そのため、こちらが具体的に聞かないと答えてくれない時もある。

「俺らの世代は丁寧に教わるってことをしてこなかったから、説明するのが得意じゃないんだ」

これについて僕は実感を伴って理解できた。

ある業務に当たったとき、とあるご年配の方が「これはこういう風にばーっとやるとか」「コツがあるからそれに気づく」だとか、擬音語を使ったあやふやな説明や、こちらの自発的な気づきを頼りにした説明をささっとするだけ終えてしまって、僕は「ええ、おいおい」と多少戸惑った。少し手違いをすると、違う違うそうじゃないと注意が入る。これは非常にやり辛い。最初から一定の型を示してくれて、それについて具体性のある方法を教えてくれれば無駄に時間を食わなくて済むと思う。

僕はこのような場合、全体を把握するのは諦めて、部分部分をこまめに聞くようにしている。それを積み重ねて全体像を頭にいれて初めて自分から動けるようになった。

そして、これらについて考えていたら、つくづく僕は日本で一般的な企業で働くことは無理だなと思った。上司や先輩会社員の性格や理解度で、その下の人間のパフォーマンスがおおよそ決まる。駄目な社員を駄目なままに留めているのは、実はそういった上に立つ人間にも責任があるのではないかと思うわけだ。

僕の知り合いから聞いたこういう話があった。

Aくんという少年が兎に角、担任教師と馬が合わず、またその教師もAを最初から問題児で出来の悪い子だと認識しているために、ずっと扱いが悪いままでAは学業不振に陥っていた。がしかし、新学期になり新しい教師に変わると、今まで駄目だったAは急に成績を伸ばしそれていた横道から軌道修正し、無事に志望校に合格した。

果たして、Aくんはそれまで単にできの悪い子だったのか、それとも元々出来る子だが、押しつぶされていたのかは真相は分からない。ただ、最初の担任は評判が悪く、次の教師はとても有能な先生だったそうだ。

このように、「教え方」ひとつで人はいくらでも変わるのだと僕は考えている。勿論それは自分の今までのちっぽけな人生経験を加味しても多いに実感している。ただ僕は根本で誰かの下について、あーしろこーしろ言われるのが生理的に好きじゃない。それが対して自分にとって思い入れのない事柄だとしたら尚更だ。自営業をする人で、人に使われるのが嫌だったと言う率は高いと思う。僕も出来れば、責任をすべて自分で負う変わりに自分の好きなようにやって金を稼ぐ方法を考えなければな、と切に思うのであった。

雑記終わり。