ハロウィンとルサンチマン

渋谷が浮かれている。交通規制が掛かるほど人が集まる賑わい。友人同士で仮装して街へと繰り出す。さらには、一人で参加する強者も沢山いるようだ。活気溢れるネオンと群衆。酒を飲み、写真を取り、楽しい様子をSNSにアップする。自分の人生が充実していることをインターネットで誇示することは、ある種今の若者にとっては何事にも代え難いステータスだ。僕もデジタルネイティブ世代の端くれとして、その気持ちは分からないでもない。

思い返せば、初めて個人用のノートパソコンを買ってもらった2006年。当時中学生だった僕は取り付かれたようにインターネットをしていた。ホームページやブログ。黎明期の動画サイトに投稿。人の目が集まりそうなところがあれば、いち早く察知してそのムーブメントに乗っかっていた。何よりあれは、自己顕示が一番の目的だった。自分という人間が此処にいる。そして、回線で繋がっている先の貴方に自分の事を知ってもらいたい。そんなような気持ちだったと思う。結果として、ネットや音楽(バンド活動)にどっぷりハマってしまったせいで、中学生の僕の成績は急降下して、ドロップアウトの先陣を切るが如く高校受験に失敗。チンパンジーより少し賢い程度の人間が集まるような底辺校に席を置くことになり、その後の人生をめちゃくちゃにしてしまったのだから、今なら声を大にして言える。ネットは害悪だ!……自己責任ですね。すみません。

話が大きく逸れた。世間がハロウィンにうつつを抜かしている今日この頃、現在無職で引きこもり中の僕は、この浮かれムードに辟易していた。何が仮装だよ、コスプレだよ、馬鹿野郎。

今日一日、げんなりしていた中、世間様のそんな楽しそうな話を知ってしまえば嫌でもヘソを曲げてしまう。あんな風に浮かれている奴らと俺は違う。俺はもっと大切な、有益な時の過ごし方をするんだ。己を見つめ直し、己と向き合うのだ。まったく、無職の人生落伍者がどの口叩いてそんなこと言うのだろう。おまえがやっている事と言えば、インターネットサーフィンをして、娯楽本を読み漁り、楽器を弾き歌い、一銭にもならないブログを書いているだけじゃないか。何も生産性がない。――だがしかし、やはり俺は孤高に戦っているんだ! もちろん、数分後に正気になり間違っているのは自分だと気づいた(むしろ数分もかかったのか)

結局斜に構えているだけで、自分だって楽しめる物なら楽しみたいのだ。ドラキュラコスのエロエロな女の子達に「よーし、胸の二つのパンプキンをプティングしちゃうぞー」とか普通にしたいのだ。

けれど僕の本質は、クラスの隅っこの席で傍観者気取りでいた中二病時代から何も変わっていない。永遠の中二病。きっと死ぬまで治らない病。本当は輪に入りたいのに、入ることができないから、無理矢理自分を納得させるために「あんな物が楽しいわけない! 無駄だ!」等と虚勢を張る。酸っぱい葡萄。

僕は横になる。横になると世界がどうでも良くなる。だけど、眠りに落ちて意識が無くなる瞬間まで、この世界に僕は存在し続け、無用な意識の産物は膨張し続ける。本当に自分は救われねえな、なんて思いながら。

隣国が日本を焦土化させようと兵器の実験を繰り返している中で、夜のセンター街、そこにはただ楽しいだけの空間があった。まるで別世界のように、人々は異形の装いを施して街を闊歩している。だけども思う。すべての現実は繋がっている。だから、楽しくて平和な世界は、いつ壊れてもおかしくない。しかし、そもそも壊れる前提と考えるのなら、今この瞬間を全力で楽しむ生き方のほうが理に叶っているのではないか。僕は、その一瞬を本気で楽しむ。なんてことを最後にしたのはいつだっけ。本当に遠い過去なので、記憶の棚から引き出して来るには些か時間がかかる。

ニュースを見ると可愛い子が楽しそうに写真を取る姿がそこにあった。一瞬の思い出は情報として共有され、そして今日もこのインターネット世界の広い海原に漂う。僕がこうしてブログを書くことと、それらは、結局は同じ事なんだ。