空白の日

「もう11月になったよ」友達から来た、そんなラインの一言。

そうか、またそんなに月日が経ったんだ。気怠く麻痺した頭を両手で押さえて、僕は窓から昼間の太陽を眺めた。雨続きだった10月後半から、やっとこさ落ち着いたのか、外界は平静を取り戻したようだ。

どこか違う世界に飛ばされてやってきたような感覚を覚えた。それは決して天気のせい等ではなく、あまりにも内容の薄い日々を僕が過ごしてしまったからだ。現実世界の時の流れと、自分の中にあるそれらが大きくかけ離れてきている。命は、時間は有限なのにまるで消化試合のように……僕はずっと何かが過ぎるのを待っている。過ぎた先に安寧の日が自分に訪れると、そんな勘違いをずっとしてきた。或は、本当にその日が存在するとしても、今の自分じゃそこに辿り着けないだろう。

 

この1週間、僕はほとんど外出もせずに家に引きこもって過ごした。狭い4畳半の自室に閉じこもっていれば精神も辛くなる。高校をやめた当時のことをふと思い出した。あの頃も酷かった。友人からの誘いが有ってもそれを断り、コンビニ以外は外に出ない、そんな生活を長期間していた。その頃の自分が何をしていたのか、最近はもうあやふやだ。時の流れは、密度の濃さがない物語なんて洗いさってしまう。たぶん、小説かなんかを書いていた気がする。某雑誌の読者企画で偶然、短編小説か何かの投稿企画があって、ライトノベルの薄さをさらに引き延ばしてペラペラにしたような物を書き上げて投稿した。それが紙上に掲載されることになり、優秀賞で5万円を頂いた。そのせいで勘違いをしたのか、長編小説に挑戦していたような気がする。

もちろん、その小説はついぞ完成しなかった。自分は長期的な展望を建てて、それを遂行する能力を持っていないことに気づけた。あれはあれで良い経験になったのかも知れない。

 

2017年の僕はその頃と比べてどうだろう? 短期契約のアルバイトが終わった9月から、ネジが外れてしまったのか、働くことに対して無気力感を覚えた。先の見えない生活の中で、焦りと不安がじわじわと僕を締め付ける。このままじゃ駄目なのは分かっている。今すぐにでもアルバイトを見つけて、とりあえずそこで働けばいい。今は実家暮らしだから、最低限の生活は保証されているが、自分で自由に使えるお金がろくに残っていない。そのような状態では気持ちが落ちる。

今更、人並みの生活はできないだろう。普通に就職する、なんて願望も実は自分にはこれっぽっちもない。もちろん大人だから、世間の人達のほとんどが自分が好む職について日々勤労の汗を流しているとは思っていない。9割り方の人間は好きでもない仕事をして、それでもお金を稼ぐだろう。なんのために? 生きるために。けれど生きるってどういう所からだろう。僕は今、高い車に乗りたい訳でもない。良いお店でお酒を飲みたい訳でもない。結婚をするからお金が必要という訳でもない。最低限の額のお金があれば良い状態だ。もちろん、お金はあるに超したことはない。自分だって大金持ちならそれ相応の豪遊をするだろう。しかし、今の僕にそれは必要じゃない。

結局今の僕は自分を見失っていて、何をしたら良いかも分からない状態なんだ。働く働かない以前の問題で、謎の喪失感だけを持って呼吸をしている。

自分の生き甲斐ってなんだろう。文章を書くことは好きだが、それを職にできるような才能もない。音楽が好きでギターを弾くが腕は人並みだし、今年に入って活動を始めたバンドは色々なことがあって休止になった(これは書くと長くなるので、バンドの話はいつか別枠で書きたい)

幼い頃に描いてた夢のどれもが、特別な才能が必要になるものばかりだったので、成長して限界を推測できるようになった今、全身を投じることも出来ないのは何たる悲運か。

八方ふさがりか……とまた悲観に暮れると、現状で唯一興味のある事柄が浮かんだが、それにはお金が必要なので、結局バイト探そうという結論に至った。動け、俺の身体。