ぐるり地元。横須賀 貝山緑地

時間と暇を持て余していた。僕はいつも通り散歩に出ようとしていた。

しかし、気分的に「いつもと同じルートを辿るのもなんだかなぁ」という感じだった。

友人のガギンくんに連絡を入れて、軽く散歩でも行こうよと誘うと、ついてきてくれることになったので、集合。どこ歩くかー、と相談していると記憶ははるか昔に飛ぶ。小学校の頃に行事でいった貝山緑地なんてどうだ? との案が出て来る。

よし決定。

貝山緑地は、夏島貝塚(こちらは割と有名)と割と近いエリアにある。工場地帯に面している一角で、目の前にはリサイクルプラザのアイクルがそびえ立つ。

 

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公園を上って行く。工場地帯からの景色が一点。山の中にいるのかと錯覚する(一応山だけど)

意外と坂が急だったので、ちょっと疲れた。

 

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頂上まではすぐだった。小さい頃に来たときは、もっと広くて上に着くまで時間がかかったはずなのだが……大人になったからだろう。

 

頂上の景色からはアイクルと海が見える。風もそこまで強くなく、過ごしやすかった。

アイクルの添いの道はちょっとした釣りスポットなので、朝から深夜まで人がいることが多い。

 

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ガギンくんが一服。相変わらずのドラえもんの服が面白い。

僕もタバコを取り出して、缶コーヒーをあけて景色を眺める。

 

そこから二人で、のんべんだらりと雑談。僕はバイトの契約も切れているし、ガギンくんは東京からのリターン組なので、現在求職中のふたり。彼も、早く食い扶持を見つけなくてはと苦笑していた。

話は昔話から、現在やっているバンドの事までと幅広い。

食べ物の話からいきなり「田舎で隠居したい」なんて類いの話にまで飛んだりと、緩急が激しい。僕も、山梨で学生生活を過ごしていたころのことを思い出して、もう一度田舎暮らししたいなぁ、とぼんやり考えた。

 

薄暗くなり、話も尽きたのでその日は解散。

 

これから自分たちはどうなっていくのかなー、そう思いながら、家路に着いた。

 

 

馬刺を食べた。たまには良い物を食べるのも悪くない。

少し前になるが、川崎の馬刺専門店に行った。友人の沼太郎くんが驕ってくれるという大盤振る舞い。僕は本当に彼を尊敬している……。

 

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最後に馬刺を食べたのはいつだっただろうか。小さい頃に親に連れられて料理屋で食べた記憶はある。しかし、こんなに沢山、腹が満腹に膨れ上がるまで馬刺を食べたことはなかった。大人になるのも悪くない、そう思った。

普段地元の仲間で飲んだり、飯を食うときは兎に角コスパ優先だ。主にファミレスや安い居酒屋で精一杯楽しむという方向性なのだが、ごく稀に僕らはちょっと贅沢したりする。僕らはお金のない若者。けれど、たまに美味しい物を食べてもバチは当たらないだろう。

たてがみがまろやかで凄く美味しかった。

 

馬刺には日本酒やビールがとても合う。確か、僕は少し飲み過ぎてしまったと思う。

ハイテンションで帰宅して、泥のように眠った。

 

 

ルームシェアと衛生問題。片付けられない友人二人はどうなるのか?

夏の少し前から、友人の沼太郎くん、ガギンくんがルームシェアを始めた。二人は僕を介して知り合った。もう何年も前のことだ。

今では仲良しの二人がルームシェアをしている。一体どんな生活なのだろうか。気にならないといえば嘘になる。

彼らの暮らしは上手く進んでいるのだろうか? 

僕は久々に彼らの住いに顔を出してみた。

 

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荒れていた。

まだ開封されていない荷物が目につく。

沼太郎くんの部屋は撮影許可が降りなかったため省きます。

 

さて、彼らの暮らしには問題がある。まず一つが衛生状態だ。むき出しのゴミ袋が置かれているスペースにはコバエが集っていた。ニオイもする。これはまずいと思ったので、まず最初にゴミ箱を買え! とアドバイスした。

 

これを三つほどAmazonで購入。設置させる。

沼太郎くん、ガギンくんは掃除が苦手だ。だがしかし、こんなに汚い部屋になるとは思わなかった。お互いに共同生活をするのだから、両者気を使い、最低限の衛生状態は保たれるだろうと、踏んではいたのだが……。

 

 

その時、ふと、数年前ガギンくんが東京で初めて一人暮らしをしたときの事を思い出した。彼の家に初めて遊びに行ったあの日の光景が、フラッシュバックする。

 

 

 

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あの頃に比べりゃあ、だいぶましになったか……。

 

彼らの前途多難なルームシェアはまだ始まったばかりだ。

これからどんなことが起こるのか、推移を遠くから見守っていたい。

 

そういえば、ごく自然にドラえもんのTシャツを着ていたガギンくんがちょっと面白かった。

音楽の話

最近気に入った曲を紹介する。定期的にやっていきたい。

www.youtube.com

Thundercat Them Changes.

オートワウのような音のベースラインがとても癖になる一曲だ。イントロでやられてしまった。他の曲のライブ映像も見たが、この人は技巧派のベーシストだ。このグルーヴ感で安定しながら歌唱するのが凄い。ライブだと3人のみのシンプルな編成で、このスマートさもまた格好良い。

今日はこの曲でも聞きながら夜の散歩に行ってきます。

明日もまたバイトだ……。

計画を立てるな

ホリエモンが「未来に怯えず、計画を立てるな。計画通りに行く事なんて人生にはない」と言っていた。うーむ、確かにと思う。

 

年頭に思い描いていた今年の計画は悉く実行できていない。読みたい本をいくらか読めた。バンド活動を再開させた。……と、少々のことはできた。しかし、これが完全に自分が望んでいた形か? と考えたとき、ほとんど現実では違うことが起こっている。理想と計画は違うなぁ。計画をたてるにしても、そこに感情を介入させるのは良くない。何かが成された時に、「これなんか違うんだよなぁ」が自分には多すぎる。

もう少し、今を楽しむことにシフトして行くほうが良いだろうなぁ。

 

もう随分と前になるが(もう自分もそんなに歳とったか……)まだ自分が中学生・高校生だった頃なんて、その日一日のことだけを考えて生きていた気がする。

「帰ったら、ギター弾いてからゲームやろう。ああ、あの本も読もう」計画などではなく、予定くらいに収めておいて、出来る時間が来たらすぐに実行する。色々なことに集中できた。

当時は、楽器練習・ホームページ運営・カラオケ・たまに釣り・etc 今では考えられないほどの多趣味だったがそれを全部楽しんでいた。

 

それが二十も半ばに差し掛かると「今日は疲れてるし、来週やろう」「また明日これを考えよう」物事を先延ばしにしてしまい、結果だらだらとしか出来ず、メリハリがないため不完全燃焼。このパターンに嵌ってしまっている。

 

明らかに集中力が落ちている。困った物だ。

 

 

「見て覚えろ」その弊害

「職人の世界と同じだよ、ああいうのは見て覚えるんだ」

先日ふとした時、こんな話がバイト先で出てきた。今日はそこで僕が今思っていることを書く。

最近だとマニュアル化がなされてる職場も増えて来ているとは思うが、やはり多くの日本人は「見て覚えろ・感覚を掴め」を非常に信奉しているのだと感じざるを得なかった。彼らの多くは物事を非常に曖昧に捉えて感覚に落としている。そのため、こちらが具体的に聞かないと答えてくれない時もある。

「俺らの世代は丁寧に教わるってことをしてこなかったから、説明するのが得意じゃないんだ」

これについて僕は実感を伴って理解できた。

ある業務に当たったとき、とあるご年配の方が「これはこういう風にばーっとやるとか」「コツがあるからそれに気づく」だとか、擬音語を使ったあやふやな説明や、こちらの自発的な気づきを頼りにした説明をささっとするだけ終えてしまって、僕は「ええ、おいおい」と多少戸惑った。少し手違いをすると、違う違うそうじゃないと注意が入る。これは非常にやり辛い。最初から一定の型を示してくれて、それについて具体性のある方法を教えてくれれば無駄に時間を食わなくて済むと思う。

僕はこのような場合、全体を把握するのは諦めて、部分部分をこまめに聞くようにしている。それを積み重ねて全体像を頭にいれて初めて自分から動けるようになった。

そして、これらについて考えていたら、つくづく僕は日本で一般的な企業で働くことは無理だなと思った。上司や先輩会社員の性格や理解度で、その下の人間のパフォーマンスがおおよそ決まる。駄目な社員を駄目なままに留めているのは、実はそういった上に立つ人間にも責任があるのではないかと思うわけだ。

僕の知り合いから聞いたこういう話があった。

Aくんという少年が兎に角、担任教師と馬が合わず、またその教師もAを最初から問題児で出来の悪い子だと認識しているために、ずっと扱いが悪いままでAは学業不振に陥っていた。がしかし、新学期になり新しい教師に変わると、今まで駄目だったAは急に成績を伸ばしそれていた横道から軌道修正し、無事に志望校に合格した。

果たして、Aくんはそれまで単にできの悪い子だったのか、それとも元々出来る子だが、押しつぶされていたのかは真相は分からない。ただ、最初の担任は評判が悪く、次の教師はとても有能な先生だったそうだ。

このように、「教え方」ひとつで人はいくらでも変わるのだと僕は考えている。勿論それは自分の今までのちっぽけな人生経験を加味しても多いに実感している。ただ僕は根本で誰かの下について、あーしろこーしろ言われるのが生理的に好きじゃない。それが対して自分にとって思い入れのない事柄だとしたら尚更だ。自営業をする人で、人に使われるのが嫌だったと言う率は高いと思う。僕も出来れば、責任をすべて自分で負う変わりに自分の好きなようにやって金を稼ぐ方法を考えなければな、と切に思うのであった。

雑記終わり。

バイトとか

本格的な夏入りをして僕の身の回りも少しずつ変化してきた。ひとり暮らしを始めた友人のほぼシェアハウス化したような部屋に入り浸ったたり、再開したバンドのPV撮影をしたり。何よりバイトを始めた。短期間の夏っぽいバイトだ。業種は伏せる。別に隠す必要はないけどね。

朝早いのが辛いところである。学生またはニートをしてるときは無駄に朝早くに起きていろいろとしていたがバイトとは言えいざ働くとなると途端に布団から起き上がるのが億劫だ。どうやら僕は何かに拘束されてしまうのに極端に弱いらしい。朝起きて、「ああ今日は海岸に行って海でも見ながらコーヒーを飲むか」そういう自由がなくなる。それはとても辛い。ふと、どこかに、感じた時に、ふらっと行けるような自由があるって素晴らしいと思う。

 

さて、バイトの話に戻る。バイト先はほとんどがシルバーの人材で構成されている。若い世代は僕を含めて4〜5人かな。今のところ、ずっとお爺さんお婆さんとしかシフトが被らないので超高齢化社会を感じる。自分の心まで老いる錯覚を覚える。業務上、空き時間が多いので、空いた時間で彼らと事務室で過ごす事になる。そこでまず感じるのが異常な昔話の多さである。どんだけするんだ。昭和時代の町並みの話、昔はあそこに防空壕の跡地が有ったとかそういうの、今は無くなったけどあのお店のパンが美味しかったとか……へぇそうなのかーって感じだ。聞いてて面白いときもあるが、その時代に生きてない僕はその話についていくことはできない。同じ地元なのに違う世界の話をされてるみたいだ。

時間の流れが緩やかなバイト先で、正直暇である。それは非常に有り難いことだし助かるが、ひとつ問題がある。彼らご老人ひとりひとりの指導内容が結構食い違っているのだ。例えば閉館作業の掃除のやり方ひとつ取っても結構違う。

こんなところぱぱっと済ませば良いんだよ、という人もいれば念入りに丁寧にやりなさいという人もいる。戸惑う。片方の言う通りにやれば時間かかりすぎと言われるし、もう片方のやり方をすればもっと時間をかけろと言われる。

しまいには、「あの人のやり方は違うんだよなぁ、ここはさ、たぶん皆やり方が違うからその状況に合わせて判断しな」と言われた。老人同士のちょっとした考え方の違いに振り回される。僕は結果が良ければ、合理的な方法を選べばいいんじゃないかと思う。例えば、何から始めるだとか、掃除の手順が多少違っても結果的に掃除が終わればそれで良いじゃないかと思う。彼らはお互いに折れるということを恐らくあまりしない。僕も年老いて行くと凝り固まった自分のやり方でしか物事に当たれなくなるのだろうか? と軽い恐怖を覚えた。

幾つになってもフレキシブルに動きたいものだ。